長南洋一
cyoic****@maple*****
2012年 5月 8日 (火) 12:45:03 JST
長南です。 元木さんのメールより [JM:00640] > > 一ヶ月くらい前に下記の JM のパッケージ配布の見直し案を ML に流しました。 > JM の配布物自体が肥大化しすぎているので、ばっさり切りたいと思っています。 > そろそろ結論を出そうと思いますので、ご意見頂ければと思います。 > # あんまり反応もないので、やっぱり JM はいらないのかな? > # みんな、英語読めばいい? man ページをはじめ、Linux の文書の翻訳は普及のためだと思っています。 プログラミングに興味を持って、Linux を使い始める小学生や中学生が いるかもしれません。そのためには、基本的なシェルのコマンドぐらい 使える必要があるでしょう。そういう人にとって、文書が日本語でなかったら、 敷居が高すぎます。ですから、わたしは原則として、今でも役に立つのなら、 いや、あった方がないよりもましならば、古い man ページでも配布した方が よいと思います。基本的なコマンドの基本的な使い方なんて、そう変わっては いないのですから。 しかし、現実には、lpr の man のようなものもあります。cups の lpr は、 オプションも昔の lpr とは変わっています。古い日本語の man ページが ローカルに存在しても、益よりも害の方が多いかもしれません (もっとも、 -P オプションは変わっていませんし、それだけ知っていればよいような ものですが)。 ですから、役に立たなくなった man ページをばっさり切るという、元木さんの 方針は、現実的ですし、基本的に正しいと思います。ただ、残せるものは できるだけ残したいというのが、わたしの立場なだけで。 となると、問題は、実際に何を捨てるかということになります。 元木さんが「配布中止候補」と「配布中止」の候補 (まだ「候補」ですよね) を 挙げてくださったのは、そのひとつひとつについて、本当に配布を止めてよいか どうか、チェックしてほしい、ということだと思います。 わたしとしても、「できるだけ残せるものは残したい」という立場から、 そのチェックをやってみようと思っていました。しかし、目下のところ、 sudo の改訂で手一杯なのです。個人的な事情で恐縮ですが、もうすこし 待っていただけないでしょうか。この二三日で sudo の man をリリースする つもりですから、一週間か十日ほどですが。 > (2) ウェブページでの公開 > 以下のどれにするか、迷っています。 > (2a) 最新版配布中のもののみウェブで公開 (旧版の翻訳は公開しない) > (2b) 最新版配布中のものと旧版の翻訳は違いが分かるようにして公開 > (2c) これまでどおり全部一緒にして公開 わたしも (2c) でよいと思います。ただ、lpr の man ページなんかを考えると、 ちょっと微妙ですね。(2b) が最善なんでしょうが。 > (3) tarball の配布 > 「全体のアーカイブ」として配布しているものは、「最新版配布中」だけを > 含めたいと思います。 > 「旧版の翻訳」は「過去のアーカイブ」として、パッケージ毎にウェブサイトに > 置こうと思います。 これも当然そうなると思います。 それから、gnumaniak の coreutils 関係ですが、一応 JM の配布に含めて、 ディストリビューションのパッケージャーの方に、新しい man ページを 使うか、gnumaniak の man ページを使うか、選んでもらうという手も あるのではないかと思います。 # あっ、そうだ、うかがおうと思っていたんでしたっけ。 # TBD というのは、何の省略ですか? -- 長南洋一